2015年07月28日

日本人にも答えづらい「侍」と「武士」の違い





鎧兜すがた.jpg



外国の人が日本人に聞きたいこと。

その中のひとつが、

「侍」SAMURAI と 「武士」BUSHI の違い。



実際、日本人でもよくわからないので、

しっかり説明できる人は少ないでしょう。


それに、解釈がいろいろ出ていますので、

答える人が、どれを使うかによっても、

答えは異なります。




ミセスMの解釈を書きます。


江戸時代以降の呼び方の区別として


「侍」SAMURAI : 刀をさしている人。(武芸者)

「武士」BUSHI : 大名などの主君に仕える侍。


簡単に言うと、上記になると考えています。


時代劇で、町人が「お侍さん」と、武士を呼ぶのも

刀をさしているからで、その人が浪人であろうと、

旗本であろうと、「お侍さん」です。



ただ、「侍」という言葉は、

平安時代から、時代とともに変化してきました。

もともとは、「さぶらう」という言葉があった。

平安時代、荘園を持つ貴族や寺院は、

荘園を守るための警護団として、

「さむらい」を雇っていた。

ゆえに、身分は低かった。


高校の教科書では、

平安時代初期に登場するこれらの人を、

「武士」の始まりと伝えている。


だから、

「侍」=「武士」

これも間違いではない。


時代によって、また説明する人によって、

呼び方が異なるだけ。

という考えもある。


だから、「同じ」と答えても、決して間違いではない。


しかし、江戸時代で考えると、

「侍」は、主君を持たぬ、召抱えられていない武芸者。

「武士」は、主君を持ち、召抱えられた人。

となると考えます。


有名な「新撰組」も、「武士」ではなく「侍」の集団。

江戸時代の末期になると、

「武士」になりたい人たちが、みずから剣を磨き、

「侍」となって、「武士」として召しかかえられるために、

自分たちが決めた規律を守り、

「武士」よりも厳しい鍛錬をして、自らを鍛えた。


「新撰組」はその中のひとつで、

「会津藩預かり」となって、仕事をするが、

それは、「侍集団」である「新撰組」を

一時的に雇った、派遣社員みたいなものと考える。


「新撰組」は、武士ではなく、「侍集団」。


その中の何人かは、会津藩に召抱えられて、

「武士」となる目的を果たしたかと。



「呼称」として、時代とともに変化しているので、

外国人が知りたい江戸時代で言うなら、

「侍」SAMURAIは、召抱えられていない武芸者。

「武士」BUSHIは、主君に仕える侍。

となると考えています。


以上は、ミセスMの個人的な解釈なので、

どう区別するかは、自分なりに調べることを

お勧めします。

ネットにいくらでも情報があって、

ありすぎるくらいですから。



ただ、平安時代初期に登場した武士と言われる人たちは、

最初は、「さぶらい」などと呼ばれていたと思うので、

「武士」と呼ばれ始めたのは、平安時代後期以降と

考えています。


いずれにせよ、

外国人に聞かれて、あたふたするより、

自信を持って、答える態度が必要かと。


日本人は、自分の国の歴史も知らないのかと、

笑われないように。


ミセスMは、江戸時代では、

「侍」と「武士」に区別があるが、

それ以前の時代では、

どちらも「同じ意味」と答えることにしています。


外国の人は、江戸時代はわかっても、

平安時代なんてわかりませんから、

江戸時代の話ですがと言って、

説明できれば、問題ないと考えています。







posted by ミセスミリオンショウケース at 00:31| Comment(0) | 雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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